183.カメラを使うこと、写真を撮ることの意味について
大層なタイトルだけど、実際そんなことはない。
僕にとってカメラを持って写真を撮る、ということは当たり前のことだ。
「息を吸うように」というのはあまりに大げさすぎるけれど、
例えば電車に乗るために定期を持っていくように、雨だから傘をさすように、
出かけるからカメラを持っていく。それが当然だから。
だからそれが誰かの役に立つだとか、そんなことは考えてない。
撮りたいものだから撮る。空のウイスキー瓶でさえ、僕には撮りたいものだった。
大義名分なんてものもないし、頼まれたわけでもない。
去年のデザフェスで、とある人が奥さんと一緒に展示を見に来てくれた。
その時撮らせてもらった二人が写った一枚を、写真立てにいれてプレゼントした。
今日その人と別件で話した時、その写真が結婚式の映像の最後で使われたのを聞いた。
奥さんがそれを気に入ってくれたのだという。それを聞いて、僕は嬉しかった。
僕にとっては何気ない一枚だったものが、誰かにとって大事な一枚になることもある。
スナップ撮ってばかりの僕だが、人を撮らせてもらって、そんなことがあった時、
「カメラをやっていてよかったな」と思ったりする。
結局それをやる意味なんてものは、誰かが見つけてくれるのだ。
スナップを撮る意味も、いつか誰かが教えてくれる時がくればいいな。