最後のフィルム世代より

終わりが来る前に、まだ出来る事がある。

005.漫画、イラスト、美術大学

僕は美大出身である。
美大出身というワードは、まわりの人々に対して大きな影響力を持っている。

あいつは美大出身だから絵が上手いはずだ、
デザインがすごい出来るはずだ、
美術史にも詳しいだろう、
頼めば何か作ってくるに違いない、
そんな感じで色眼鏡で見られる立場なのだと痛感したのは社会人になってからだった。
だから僕はまわりの人にいつもこういっている。

「デッサン試験の時に百点満点で三十点でしたから」


 これは別にジョークでもなんでもなく真実である。
僕は美大の入試の時に、デッサン試験で赤点ギリギリ(というか赤点か?)を
叩き出しながらも、何故か美大に受かってしまった。
無論学科がそこまでデッサン力を必要としないところだったのもあるのだが。

つまりはそういうことだ。
デッサンなんて出来なくても入れてしまうのが今の美大の現状だろう。
僕以外にも、同級生には絵が壊滅的にヘタクソな人がたくさんいた。
中にはグラフィックデザイン志望で落ちた結果入ってきてしまった、
デッサンが恐ろしいくらい上手い人もいたりもしたが。

そもそも僕は、美術的な絵が好きなのではなく、漫画のような絵が好きなのだ。
中学生にあがった頃、ようやっとお小遣いで漫画を買えるようになった。
というのも、小学校の時は漫画なんてロクに買わせてもらえなかったのが我が家だった。
小学校の教室で、ジャンプの新連載について同級生達が話している中、
僕は話についていけなかったのをよく覚えている。
だから僕はまわりが話すベターな漫画はあまり詳しくはない。
最近になってようやくワンピースは全巻読んだくらいだ。

一番最初に買った漫画は、ゴツボ☆マサルの「サムライチャンプルー」だった。
表紙買いだった。兄弟で漫画家をやっているゴツボ兄弟次男の漫画なのだが、
総じて線が粗めなのが彼らの特徴だ。当時の僕はそのラフで勢いのある絵柄に憧れ、
一ヶ月ゴツボ☆マサルの絵柄を描き写して自分のものにしようとした。
その間に兄であるゴツボ×リュウジの漫画も買ったりして、
僕はどんどんそっち方面の絵柄に向かっていった。

次に転換点になったのは、中村佑介との出会いだった。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONにハマると同時に僕は中村佑介の、
当時としては珍しかった無駄のない、かつ精密な描写のジャケットイラストに
惚れ込んでしまい、これまた描き写しで絵柄の獲得に向かった。
この病気は大学二年まで続き、今では横顔だけならある程度似たようなものが描ける。

今挙げた三名以外にも、色々な作家の絵柄に浮気をしつつ、
僕は今の絵柄に到達している。恐らくこれからもどんどんと変わっていくだろう。
しかしそこにデッサンという基礎的な技術が深く関わってくることは、
多分これからもないと思う。体得してきた絵の技術で、僕は美大に入れてしまったから。

最終的に何がいいたいのかっていうと、
今のご時世なら、デッサン出来なくても絵を描くのが好きだったら
(多分)美大に受かれるんじゃないかなって事。
ただ大学を出た後色々面倒な事になるから、出来るに越したことはないだろう。