最後のフィルム世代より

終わりが来る前に、まだ出来る事がある。

018.恩師の筆記に酷似

最近、とある筆記具の事が頭から離れない。
かれこれ一年以上憧れ続けている、思い入れの強い筆記具だ。
それは大衆的な文具ではなく、買った人のみ正しく美しく使えて、
その使い心地、描き心地は他には決してないものだという。
そんな夢のような筆記具があるのだから、本当に良い時代だ。

しかし、僕はふと思った。
自分の求める至上の書き味、描き心地とはなんだろう?


書き味とは決して単純なものではない。
様々な要因が重なった結果として僕らの手元に残るものだ。
それはグリップ感だったりとか、本体の重さだとか。
しかし、そういうものが積み重なっていたとしても、
やはり重視されるべきなのは『先端の摩擦具合』だろう。

『先端の摩擦具合』なんて言葉は今初めて聞いた。完璧な造語だ。
だが説明すれば判ってくれる人もいるだろう。
例えばシャープペンをノートに走らせた時のあの感じだ。
あの『今シャープ芯の先がノートに削れて行っている』感覚。
あれがつまりは摩擦具合だ。ペンと書くものとの間に必ず生まれる現象。
摩擦具合が感覚的に気持ちよければ気持ちいいほど、書き味は良くなるだろう。
僕はシャープペンの『削っている』感じは好きだ。如何にも書いている気がする。
削れて次第に丸みを帯びて行く文字なんて愛しさすら覚える。

だがそれ以上に良いのは、やはり万年筆だろう。
万年筆を使った事が無い人に解り易く説明すると、
水に適度に濡らした氷を鉄板の上で滑らせている感じだ。全然判らねぇな。
万年筆はボディにインクの入ったタンクのようなものが付いていて、
そこから毛管現象の要領でペン先にインクが進んで行って書ける仕組みになっている。
しかも万年筆に使われているインクは、ボールペン等のそれとは違っている。
その大体が水性インクであり、インクは完全な液体だ。
つまり万年筆は、先端から液体を垂れ流すようにして筆記を行う道具な訳だ。
これが他の筆記具には代え難い、万年筆ならではの書き味になっている。

最近はジェットストリームローラーボールなど、
ボールペンもその書き味に革新を起こし始めている。
古いものならカランダッシュのゴリアットもあるだろう。
正直万年筆も100本中100本が素晴らしい書き味を持っている訳でもない。
ペン先は一本ごとに微妙に異なり、自分に合う一本を当てるのは困難だ。

しかし、万年筆のペン先は使って行くうちに段々と削れて行く。
使っている人のクセに合わせて段々と書き易い形になっていくのだそうだ。
そうなってしまえば、自分にしか使えない、最高の描き心地の筆記具になる。
万年筆の本場ドイツに『嫁と万年筆は人に貸すな』という諺もあるらしい。

つまり、僕が求めているものはそういう万年筆なのだと思う。
他の誰よりも僕の事を判っていて、僕の思う通りの線を、描き心地を持っているもの。
それが僕にとっての、至上の書き味。