最後のフィルム世代より

終わりが来る前に、まだ出来る事がある。

035.死ぬまで笑う

朝、電車に乗っていた時、子供の泣き声を聴いた。
電車の中で子供の泣き声を聴く、なんてのはよくある事だ。
でも、その時の泣き声は、いつもと違っていた。


僕は電車の中では音楽を聴くのが常だ。
その時もいつものようにiPod nanoで音楽を聴いていた。
ふと、ヘッドホンの隙間から泣き声が入り込んできた。
後ろを振り向く。僕は優先席近くに立っていた。奥の方を見てみる。
だがそこには特に泣いているような子供は見えなかった。
恐らくは影になっている場所にいるのだろう。死角は結構あった。
でも泣き声は聴こえてくる。どんどん大きくなっていっている。

僕だけの話ではないと思うが、子供の泣き声はあまり気持ちのいいものではない。
なんせあの音量ときたら遠慮を知らない。どんどん頭の中に入ってくる。
電車が目当ての駅に着いて、僕はすぐさま電車を降りた。
一刻も早くその場を離れたかった。あんな声聴かされたら、休日が台無しだ。

だがその声はしばらく頭の中に響いた。
どんどん足を早めて離れていっているはずなのに、音楽の隙間から、
同じ声が響いてきていた。僕は少し怖くなって、足を早めた。
改札を出る時にはもう、その声は消えていた。

子供は不快感の表現手段を『泣く』という事しか知らない。
成長して行くうちに色んな手段を覚えるのだが、子供はそれを知らない。
だから、子供は『泣く』。音を大にして。そうすれば全てが伝わると信じている。
恐らく僕もそうだったはずだ。デパートで泣いた事をよく覚えている。
両親も、子供の泣き声に対して僕が不快感を示すと、
「お前もああやって泣いていたんだよ」と笑いながら話す。

木霊していた泣き声はきっと僕の過去の不快感を想起させている。
今日の泣き声がずっと響いていたのは、それが自分のに良く似てたのかもしれない。
両親がそれをもう忘れてしまったのは、僕ので嫌という程聴かされたからだろう。
なんとも羨ましい話だ。僕は22年で、忘れる事が出来ていない。

今日もまたどこかで昔の僕の泣き声を聴くんだろう。
泣け、少年。
いつか君も、それを不快に思う日が来るまで。
僕はその頃には克服出来ているだろう。

そうでないと、困る。