朝、電車に乗っていた時、子供の泣き声を聴いた。
電車の中で子供の泣き声を聴く、なんてのはよくある事だ。
でも、その時の泣き声は、いつもと違っていた。
僕は電車の中では音楽を聴くのが常だ。
その時もいつものようにiPod nanoで音楽を聴いていた。
ふと、ヘッドホンの隙間から泣き声が入り込んできた。
後ろを振り向く。僕は優先席近くに立っていた。奥の方を見てみる。
だがそこには特に泣いているような子供は見えなかった。
恐らくは影になっている場所にいるのだろう。死角は結構あった。
でも泣き声は聴こえてくる。どんどん大きくなっていっている。
僕だけの話ではないと思うが、子供の泣き声はあまり気持ちのいいものではない。
なんせあの音量ときたら遠慮を知らない。どんどん頭の中に入ってくる。
電車が目当ての駅に着いて、僕はすぐさま電車を降りた。
一刻も早くその場を離れたかった。あんな声聴かされたら、休日が台無しだ。
だがその声はしばらく頭の中に響いた。
どんどん足を早めて離れていっているはずなのに、音楽の隙間から、
同じ声が響いてきていた。僕は少し怖くなって、足を早めた。
改札を出る時にはもう、その声は消えていた。
子供は不快感の表現手段を『泣く』という事しか知らない。
成長して行くうちに色んな手段を覚えるのだが、子供はそれを知らない。
だから、子供は『泣く』。音を大にして。そうすれば全てが伝わると信じている。
恐らく僕もそうだったはずだ。デパートで泣いた事をよく覚えている。
両親も、子供の泣き声に対して僕が不快感を示すと、
「お前もああやって泣いていたんだよ」と笑いながら話す。
木霊していた泣き声はきっと僕の過去の不快感を想起させている。
今日の泣き声がずっと響いていたのは、それが自分のに良く似てたのかもしれない。
両親がそれをもう忘れてしまったのは、僕ので嫌という程聴かされたからだろう。
なんとも羨ましい話だ。僕は22年で、忘れる事が出来ていない。
今日もまたどこかで昔の僕の泣き声を聴くんだろう。
泣け、少年。
いつか君も、それを不快に思う日が来るまで。
僕はその頃には克服出来ているだろう。
そうでないと、困る。