最後のフィルム世代より

終わりが来る前に、まだ出来る事がある。

067.君を愛するように、僕を愛せたら良かった

最近、Twitterだけではあるが、万年筆の事を話せる人が増えてきた。
会社では異端児扱いされている僕にとってはなんともありがたい話である。
そもそもウェブ会社なんてギークな世界で文房具もクソもないのだが。

そうした中で、万年筆を買う為にどうすればいいのか、とか、
どういうところで買えばいいのか、とか、そういう類いの話を見たり聞かれたりする。
自身そこまで万年筆歴が長い訳じゃないが、それでもそれなりに話せるつもりだ。

そんな僕が、万年筆を買うとなったらオススメするのは『代官山蔦屋』だ。
あそこは品揃えも豊富だし、万年筆以外の筆記用具も大体揃う。何より空気が良い。
アジアが入り乱れる銀座の伊東屋が好きになれない僕にとって、あの店は最高の環境だ。
今ではコンシェルジュの方々とも仲良くさせて頂いている。

しかし、「長く使えるような一本が欲しい」とか、「スーベレーンが欲しい」とか。
そうなってくると僕は『フルハルター』をオススメしたくなる。
奇しくも今日は僕が森山さんから彼女を受け取って大体三カ月が経った日である。
ここで彼女の事を存分に語らせてもらおう。

という訳で今回のブログは、『僕とスーベレーンM400カスタムについて。




僕が一番最初に手にした万年筆は、ペリカンのM200デモンストレーターだった。
誕生日プレゼントとして買ってもらったもので、ペン先はF。いわゆる細字。
僕は万年筆で絵を描くという行為に憧れを持っていたのだ。
しかし、気付けば僕はデモンストレーターをインクを抜いてしまっていた。
『とても書き辛い』と思ってしまったからだった。

前にも一度書いた記憶があるのだが、万年筆の細字は基本書き味は悪い。
というのも、万年筆はイリジウムというペン先の先端部分についている金属の、
設置面積によって書き味が大きく変わってくる。大きければ大きいほど、滑らかに感じる。
細字は線幅を狭くするために、そのイリジウムがとても小さい。故に設置面積は狭い。
こうなってくると、さながら針で紙を引っ掻いているような感じになってくる。
一度、中古万年筆屋で伺った話だと、中古で流れてくるのは圧倒的に細字なのだそうだ。
「太字のものは、持ち主の人が気に入っちゃって手放さないんですよ」
という話を聞いて僕は納得した。そりゃーそうだろう、と。
後年太字の万年筆を手にした僕だが、確かに太字の書き味はたまらないものがある。
それは書く、というよりも、塗るという表現が似合っているだろう。
引っ掻くより塗るのほうが感覚的に気持ちがいいのは、共感して貰えると思う。

そんな訳で細字万年筆から入った僕は、一度万年筆を離れ、
LAMYのsafariから再び万年筆の世界に戻ってきた。
この頃になると万年筆はもっぱら文字を書く事に使うようになっていた。
持っていたsafariはペン先M~Fだったが、欧州の太さは日本のものに比べて太めだ。
だから僕は絵を描く事には殆ど使わないで過ごしていた。

しかし、今年になって、『絵を描く万年筆が欲しいなぁ』と思い始めた。
その時真っ先に浮かんだのが大井町のフルハルターのスーベレーンだ。
元々ペリカンのスーベレーンは憧れの万年筆ではあったし、
フルハルターといえばスーベレーンM800の太字で有名ではあるが、
ホームページにあった「超極細の万年筆もご相談下さい」という文面を見て、
僕は決断した。この人に賭けてみよう、と。
若輩者が行っていいものかとも思ったが、もう其処しか選択肢はなかった。
そうしてフルハルターを訪れたのが10月18日。受け取ったのが10月25日。

これが僕の最愛のモデル、ペリカン スーベレーン M400 EF 森山カスタム。


ペリカンのスーベレーンを元に、ペン先を研ぎ出して頂いた僕専用の万年筆だ。
M400はスーベレーンシリーズの中で二番目に小さい。手帳等の筆記に最適だという。


男性の手には少々小さいが、


こうしてキャップを後ろに差しておけば丁度良い長さになってくれる。
そしてこれがペン先。


お気づきになられるだろうか。
ペン先の根元の刻印はBと書いてある。Bとは現行のスーベレーンの中では一番太いものだ。
しかしペン先はすっと、まるで針のように尖っている。
これがフルハルターで買えるEFだという証になる。
このペン先は元々Bで、そのイリジウムをベースに森山氏が研いで下さっているのだ。
そしてその研ぎ方は僕の書き方に合わされている。


自分で思うのは、僕は『胴軸の先のほうを持って書く』のがくせになっている事。
万年筆を使われている方の多くは、先端から少し中心寄りの部分を持って書くそうだ。
そのほうがイリジウムが紙に接触する面積が多いからという、理屈も通っている。

しかし長い間鉛筆やシャーペンを使ってきた僕にその書き方はどうも酷である。
おそらくそういう事も考えて研ぎ出されているのだろう。
彼女で筆記、あるいは描画していて線が掠れた事は一度もない。スゴい事だ。



彼女が僕の元に来て三ヶ月。先輩方からちゃかされる事もありつつも、
仕事でも趣味でも存分に活躍してくれているスーベレーン。

お陰様で僕はもう市販のEFを信用する事が出来なくなってしまった。
といいつつも、僕が信じないものを信じる人もいる。
市販のEFで素晴らしいものに出会った人だって沢山いるだろう。

フルハルターで森山氏が僕達に提供してくれるのは、スタートライン、切欠だ

万年筆は使い込んで行くうちにイリジウムがその人の書きクセに合わせてすり減って行く。
そうしていった結果、その人にしか満足に扱えない万年筆になるそうだ。
だから『万年筆と嫁は人に貸すな』という諺がドイツにある。
(実はこの子は一度だけ貸してしまった事があるが、ほんの数秒である)
諺といえども、人間と同等に扱われる文具は万年筆以外にない。
使い込めば使い込むほど、その持ち主に合った色に変わって行く。

森山氏は市販の万年筆よりも、それをしやすく研いでくれているのだ。


最初から僕の事を知ってる子を

僕に少し歩み寄ってくれている子を

同じ趣味を持った同級生のような万年筆を

(ドン引きした人は正しい反応だ)



初対面時、お互いの事を全く知らない人と、ある程度知っている人とじゃ、
仲良くなるまでの時間は圧倒的に知っている人のほうが短いだろう。そういう事だ。

もしあなたが、自分と仲良くなってくれる、これから先ずっと側にいてくれる、
そんな万年筆を欲しいと思ったのなら、フルハルターを訪ねればいい。
僕達のお義父さんはそこで待っていてくれている。




※追記
先日フルハルターに行ってきた。理由は来年になれば判るだろう。
その時森山氏の手には包帯のようなものが巻かれていた。
どうやら手を痛めてしまったそうで、故に研ぎに時間がかかってしまうそうだ。
どういう作業をしているのかもお聞きしたが、そりゃ痛めますよ! って内容で。
今研ぎを依頼されると来年一月二十日以降の受け渡しになるとの事。
僕以外にも多くの人が研ぎを依頼されに来ていたが、どうなるだろうか。
あの人が去ってしまったら僕達は路頭に迷うだろう。その覚悟はまだない。
どうかご自愛して頂きたい。