最後のフィルム世代より

終わりが来る前に、まだ出来る事がある。

040.明け方の僕らときたら

僕は堅苦しい食事、というものがどうも苦手だ。
食事とは本来栄養を接種する為のもので、気軽に摂るべきだ。
厳しいマナーとか、そういうのは邪魔者だと思っている。
だからフランス料理だの懐石料理だのを、僕は嫌っていた。


僕の会社の裏に、一軒の京都懐石料理屋がある。
男性一人でやっている、とても小さな店だ。カウンターが6席だけ。
見た目からはなかなか敷居が高いように見える。
僕はそういう、『普通の人はあまりふらっと入る事はなさそうな』店が好きだ。
そこの料理はなかなか高くて、出来てから4ヶ月ほど通り過ぎるだけだった。
そんな中、僕は先輩から正社員祝いを受けてその店に入った。
考えていたよりもずっと気楽で、想像以上の味が僕を襲ってきた。
店長のナベさんは若い頃随分はっちゃけていたそうだった。

金曜の夜。どうにもこうにもスッキリしないまま仕事を終えた僕は、
ビールを飲み出した上司達を尻目にその店に向かった。
先輩と訪れた時、僕達ともう一人お客が着ていた。
彼は恵比寿のほうで修行をしている料理人の卵で、豚の煮付けを作ってきていた。
それは決して不味い煮付けではなかったけど、どこか物足りない味をしていた。
それを食べたナベさんは、暫くシブい顔をした後で灰汁の講釈をし、
「明後日、俺が作ったの食ってみるか?」と彼に云った。ようは手本である。
同席していた僕達にも「良かったら食べに来て下さい」といっていた。

僕はそれを思い出しつつ、一人であの店に入る事に若干気負いを持ちつつも、
えいやっと店の扉を開いた。ナベさんは僕の事を覚えていた。

「豚の角煮、あります?」
「ありますよ。今日はコースのほう、どうします?」
「えっと、そこまで持ち合わせがないんですけど…」
「じゃあ、予算をおっしゃって下さい。それに合わせて作りますよ」

僕は申し訳ない気持ちで一杯になりながら、
その店で一番安いコースよりもさらに安い値段を云った。大体2/3の値段。
それでも酒には梅酒、前菜に舞茸としめじの水煮、蟹の塩焼き(サツマイモの甘露煮)、
メインの豚の角煮に白いご飯一杯とお吸い物、そしてラフランスのシャーベット。

「予算の中で、やっぱり満足していってもらいたいですからね」

驚きながら箸を進める僕にナベさんはそういった。
僕の中で懐石料理は、かなり固いイメージがあった。なんせ字面が懐石である。
そういえばマナーとかはあったのだろうか? 僕は失礼な食べ方をしてないか?

「本来懐石料理の懐石って、茶人達が茶を飲む前に、胃腸を弱らせない為に懐に温めた石を入れていたのが起源なんですよ。つまり、それくらいの満腹感。食後に茶を飲むのに最適な量しか出さないんですよ。ルールはそれくらいです」

本来はもっと、面倒臭いルールがあるそうだ。
でもナベさんはそういうのは抜きに、文字通りの『懐石』料理を出している。

「満腹ではなく、満足って訳ですね」
「そういう事です」

僕のお気に入りの台詞に、ナベさんはニヤッと笑った。