最後のフィルム世代より

終わりが来る前に、まだ出来る事がある。

041.十年経ったら今日の事、忘れてしまうかな



僕はなるべくカメラを持ち歩くようにしている。

毎日歩く道は同じだとしても、同じシーンは二度とない。
一度逃せばその情景には二度と出会えない。
旅先で『素晴らしい』と思った風景も、鮮明に思い出すのは難しい。

僕がそれを思い知ったのは大学二年になろうとしている春の出来事だった。


当時僕は19歳で、奈良に住む知り合いを訪ねていた。
学生の安旅行だ。鈍行で朝6時から電車を乗り継ぎ、奈良に付いたのは午後三時過ぎ。
近鉄奈良で待ち合わせをしていた僕はJR奈良駅から歩いて行く事にした。

奈良は僕が住んでいる街やたまに訪れる都会の街に比べ、
道は広く、高層ビルも目立たない、なかなか良い雰囲気の街並みだった。
ただ、逆に街の密度には欠けていた覚えがある。

僕は当時気に入っていたカーキのロングコートにリュックサックを背負い、
国道754号線(だったと思う)を一人歩いていた。
時期は三月。日差しは弱く、寒い日だった。コートを着ていても身が震えた。
ふと、脇道が出来ているのを僕は見つけた。覗き込んでみる。
そこには小さな商店が並んでいた。20m先が行き止まりになっている。
小物屋や飲食店が並ぶその道に、僕はなんとなしに入ってみた。

手前から二件目に、たこ焼き屋があった。と思う。
思うというのは、その店がたこ焼き屋だったという確証がないからだ。
だけどたこ焼きを出している店というのは間違いない。
僕はそれをしっかりと覚えている。

その店の裏手に、アルバイトの少女がいた。
彼女は黒いTシャツと腰下だけのエプロン、頭には同じく黒いバンダナを巻いていた。
そしてその少女の前には一匹の猫がいた。模様は覚えていない。
少女はしゃがんだまま、残りものであろうたこ焼きを食べる猫を撫でていた。
プラスチックの容器に入ったたこ焼きを、猫はゆっくりと食べた。
彼女は黒い姿をしていたが、僕にはその光景がなんとも美しく見えた。

今でもあの光景が忘れられない。
そして思い返す度に後悔の念に襲われる。

あの時、写真を撮って良いかと訪ねたら、あの少女はなんと答えただろうか?
結局今の僕にもそんな声をかける度胸も無ければ肝も座っていない。
ただ、無駄にだけはしたくない。それなりの努力はしていきたい。

今日もどこかで猫にエサを与えて微笑む誰かの姿があるだろう。