122.50mmの単焦点とモノクロ写真
一ヶ月くらい前、こんな本を買った。
これ、写真のムック本なんだけども、13件レビューがついてて星5を維持という、
この手の本の中じゃまるで必殺技かのように居座っている本なのだ。
正直風景写真よりスナップ写真を撮ることの多い僕だが、
活かせることはあると思ったし、なによりそんなに絶賛されてることが気になった。
昨日ざっと読み終わったけれど、確かにいい本だった。
小手先の技術じゃ素晴らしい写真は撮れない、ということが書かれている。
「この天気はISOXXXでFはこれでシャッタースピードはこれで撮りましょう」
というマニュアル的な教室を否定しているが、全くその通りだと思う。
というかそんな教室あるのかな。あるんだろうな、きっと。
その中で語られていたもののひとつで、写真を上手くなるためには、
「50mmの単焦点」で「モノクロ写真」を撮れ、と書かれていた。
画角が50mmが標準レンズだよ、というのは昔からいわれていたことだ。
「人の目の見たままに撮れる」と聞き、僕も何本も通ってきた。
それでも思うのは『全然見たままの風景じゃない』ということだった。
例えばこれ。肉眼で見ていた時はもっと広範囲が見えていた。
それでもファインダーを覗いた時はこんな感じに切り取られる。これが画角50mm。
僕はこれがどうしても嫌な時期があって、その時は35mmに移ったりしてた。
これが画角35mm。準広角レンズのズマロン。これでだいたい見えてたまんまだ。
『なんだ、35mmが本当は標準レンズなんじゃん!』と思ったものだ。
だけど、最近になってやっとわかってきた。
画角 50mmでいう「見たまま」とは見えている範囲ではなく、
「人間の目で物を見た時の状態そのまま」ということだったのだ。
35mmはもちろん50mmより広範囲が撮れる。見えている範囲は広い。
ただその代わりに象の歪みが生じる。
LomoのLC-A+で撮った写真。画角は32mmだ。左右の象が歪んでるのがわかる。
つまりこれは「見えてる範囲そのまま」かもしれないが、
「人間の目で物を見た時の状態そのまま」ではない!
なんてこった、こんなことに気づくまでに何年と何台のカメラを経てるんだ僕は!
先人達のアドバイスを完全に無駄にしてきた気分だ。
50mmという画角が見えてるままで撮れてるのはわかった。
その限られた範囲を使って写真を撮る練習をすれば、
おのずと他の画角で撮る時の構図を考えるのに役立つだろう。
何より撮るために寄ったり引いたりすることが撮影において一番大事なのだという。
それをするには50mm単焦点は最適なレンズというわけだ。なるほどね。
じゃあ「モノクロ写真」で撮ったほうが練習になる理由ってなんだろう?
カラー写真でもいいじゃないか、現像も1日で済むから楽だよ?
それは、「色でごまかせない」からだという。
簡単な話が紅葉の写真。紅葉はいろんな赤がまざって綺麗だよね。僕も好きだ。
だけど、それだからこそ大抵どう転んだって綺麗に撮れてしまう。それっぽく。
また、最近のレタッチソフトは便利だ。ちょっとの調整で色鮮やかになる。
インスタグラムとかのフィルターはタップひとつでこってりとした色になる。
そうやって「それっぽく色で誤魔化した写真」になってしまうのだ。
モノクロ写真は、いわばデッサンだ。
デッサンは濃淡ある鉛筆で、白い紙の上に光と影を書いていく。
ゲーム会社でグラフィックをやっている友達も、絵が上手くなるコツの上で、
光がどうなっているのかを把握することが大事だと話してくれた。
あの時はイラストに限ったことだと思っていたけど、それは写真でも同じだった。
僕はずっとデッサンをやらないで今まで描いてきていたのだ、絵も写真も。
思えば僕はフィルムカメラで露出をあまり意識してきてなかった。
セコニックでポン、と出た値をそのままカメラに伝えていた。
そうやって光のことを意識せず、ないがしろにして、
フィルムを消費してしまっていたのかもしれない。
モノクロ写真で気に入ってるのは、どれも光が上手く撮れたものだと今回気づいた。
これを狙って撮れるようになればもっと写真が上手くなれるだろう。
今年はモノクロ写真の年にしよう。今よりずっと写真を楽しめるようになる為に。
こないだ言ったばかりだけど、夜景を撮るのはしばらく我慢したほうがいいかもね。